忘れな草をあなたに

【作詞】木下龍太郎
【作曲】江口浩司
【MIDIデータ作成協力】マルちゃん

別れても 別れても 心の奥に
いつまでも いつまでも
憶えておいて ほしいから
幸せ祈る 言葉にかえて
忘れな草を あなたに
あなたに

いつの世も いつの世も 別れる人と
会う人の 会う人の
定めは常に あるものを
ただ泣きぬれて 浜辺に摘んだ
忘れな草を あなたに
あなたに

喜びの 喜びの 涙にくれて
抱(いだ)き合う 抱き合う
その日がいつか 来るように
二人の愛の 思い出そえて
忘れな草を あなたに
あなたに


その昔、うたごえ喫茶「」では、最後のところ
♪忘れな草を~~あなたに~~
♪「あげない!」
なんて、客席に方から声がかかってましたね。

オリンピックの年、昭和39年の菅原洋一のヒット曲です。エーちゃんが新宿の「灯」でアルバイトをしていたのが昭和42年。もう既に、息の長い曲になっていたのですね。

その前の年、昭和38年に区立城南中学を卒業したのですが、卒業アルバムの寄せ書きに、ある人が「Forget me not」って書いたもんで、「こいつ英文法もわからんのか!」って当時英語が大の苦手だったエーちゃんは思ってましたけど、文法の問題じゃなかったんですね。
ヨーロッパ原産の藍色の小花をつけるこの花forget-me-notを「勿忘草」って訳した人って詩人ですね。

ドイツにもVERGISS MEIN NICHT(忘れな草)という曲があって、ともしびの歌集にも掲載されてます。
内容は「君の愛なくば、この世に生きる甲斐なし」という1935年の「悲しきその別れ」を歌ったものです。
1933年にナチス政権が誕生してますので、そのころのイケイケドンドンの中での何らかの悲劇だったんでしょうね。
ペニシリンが発見されたのが1929年、実用化されたのが1945年以降ですので、当時はまだまだ衛生学的にも「その別れ」の原因は多々あったんでしょうね。

JASRAC情報

製作日誌:
平成18年5月15日 歌詞のみ
平成18年5月16日 今日、大阪出張だったんですけど、難波から関空へ向かう南海電車のなかで、マルちゃんからもらっていた基礎データを元にMIDIを作成。関空のHotSpotからアップしました。
平成19年6月30日 「忘れな草」へのリンクを追加