【作詞】高石ともや
【作曲】高石ともや 木田高介
【MIDIデータ作成協力】Iwakichsky

1.下駄の音 路地裏どおり
  雨上がりの屋根
  窓ごしの手まり唄
  おさげ髪の想い出
  ※この街が好きさ 君がいるから
   この街が好きさ 君のほほえみあるから

2.街の角 喫茶店
  古い美術館
  山かげの細い道
  初恋の涙
  ※(くりかえし)

3.夕焼け雲 五重の塔
  石畳の鳩
  プラタナスの道で
  君を待ちながら
  ※(くりかえし)

4.大学通り 流れる川
  走る路面電車
  背の低い山を見て
  君とぼくの明日
  ※(くりかえし)

   この街が好きさ 君のほほえみあるから


 この街というのは、京都のことだそうです。幼い頃、母に連れられて路面電車の起点の停留所を利用していたんですが、運転手さんが、ハンドルと料金箱を抱えて乗ってくるのです。降りるときは逆にハンドルをはずして料金箱を抱えて降りてゆきました。京都を離れてからすぐに市電が交通の妨げになると全て廃止されてしまいました。この頃乗客に持ち前の声に人気のあった車掌さんがワンマンバスの運転手に変わったんですが、相当に忙しく大変かわいそうだったと母が言っていました。高度経済成長期に当に価値観が変わってしまった象徴のような話です。街も土と藁を練って竹の格子に塗り込める壁なんかも減って京都らしさがどんどんと失われてきました。
 十数年して広島の街で京都の市電が走っているのを見かけ大変嬉しかったです。(Iwakichsky)

当時はのどかでした。東京でも都電が走ってました。でも、美濃部さんの最初の仕事が「都電の廃止」。そりゃ、その前の東都政から準備をしていたわけですが、青島知事が都市博をバッサリと止めたようにはいかなかったみたいですね。
美濃部さんが初当選したのは42年4月。都電の廃止は、42年12月から(もちろん、その前にも3路線が廃止されてますが)40路線の内、9路線がまず廃止。昭和47年11月までに、現在の荒川線の除いて全部廃止されました。
まあ、結果論ですが、とんでもない事をしてくれたもんです。
日本の場合は、東京の一極集中のため、交通事情が許さなかったんですね。
その点、ヨーロッパでは、人口が地方にも分散しているため、道路は、路面電車・自動車が共存できる余裕があるんですね。うらやましい限りです。

JASRAC情報

製作日誌:
平成16年10月3日 歌詞のみ