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里子にやられたおけい

【作詞】窪川鶴次郎
【作曲】守田 正義
【MIDIデータ作成】Iwakichsky

1.おけいはふたつだ
  二階のあんちやんにおぶさって
  祭で買うてもろうた 般若の面
  かぶったまんまに眠れば
  朝まで般若の子です

2.昼は一人だ
  知辺(しるべ)の家の暗い部屋
  いつも揃った 晩の飯に
  おっかは行商 あんちやん工場
  お父ぅちやんは牢屋

3.おけいはみっつだ
  小さいながらもプロレタリアだ
  あんちやんも牢屋 みんなに別れて
  里子にやられ 剣と帽子の絵をみれば
  ぢいちやんばかと呼んだっけ


里子ちゃんにいじめられらお啓ちゃんの話じゃありません。
里子(さとご)は、他人に預けて養ってもらう場合で、養子とどう違うかと云うと、養子縁組の合意と届けによる法律行為と、個人的なやりとり(?)です。おしんは明治33年の話として「子守り奉公」ですから、労働力として売られたのでしょうね。
この曲は、昭和5年にナップ11月号に発表されたものです。

当時は、「小さい同志」「芝浦」など反戦歌・闘争歌が多かったプロレタリア音楽の中に、プロレタリア叙情歌と云うべき新しい局面を開いた作品と評価されてます。(「日本の革命歌」より)

この頃、コップとかナップとか、ちょっとややっこしいです。
日本プロレタリア文芸連盟(中野重治,久板栄二郎,千田是也,佐野碩ら)が1926年11月に日本プロレタリア芸術連盟(略称プロ芸)に改組された際に音楽部が加えられた。
また27年6月にはプロ芸から労農芸術家連盟(青野季吉,村山知義,蔵原惟人ら。略称労芸)が分裂,同年11月にはこの労芸から林房雄,蔵原惟人,山田清三郎らが脱退して前衛芸術家同盟を結成したが,この同盟にも音楽部が設立された。
次いで28年3月,前記のプロ芸と前衛芸術家同盟が合同して,全日本無産者芸術連盟(略称ナップ)が結成され,その専門部の一つとして音楽部が設置された。
29年4月にはこれがナップの組織替えの方針により日本プロレタリア音楽家同盟(略称P.M.)として独立。
音楽家同盟は31年以降の日本プロレタリア文化連盟(略称コップ)の時代にも,その加盟団体として活動を続け,33年には日本プロレタリア音楽同盟と改称している。
構成員としては,作曲家守田正義,露木次男,原太郎,吉田隆子,石井五郎らのほか,演奏家の関鑑子,井上頼豊,福田上一らが加わり,合唱曲や歌曲の創作と労働者階級の音楽創造を目標にさまざまな活動を試みた。
守田の「里子にやられたおけい」「小さい同志」,吉田隆子「鍬」「兵士を送る」,原太郎「芝浦」などの反戦歌,闘争歌などが生み出された。32年以降のコップへの政府の弾圧によって,ヤップ(美術),プロット(演劇)など各連盟は解体のやむなきに至り,34年2月にはナルプ(文学)も解散を決定。P. M. も解消を決議した。
第2次世界大戦後,P. M. のこうした活動は「うたごえ運動」などに受け継がれていった。(世界百科大事典より)

わかります?

JASRAC情報

製作日誌:
平成17年7月28日 歌詞のみ
平成17年8月15日 MIDIをアップ