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湖畔の宿

【作詞】佐藤 惣之助
【作曲】服部 良一
【MIDI製作協力】マルちゃん

山の淋しい 湖に
一人来たのも 悲しい心
胸の痛みに 耐えかねて
昨日の夢と 焚き捨てる
古い手紙の うすけむり

水にたそがれ 迫る頃
岸の林を 静かに行けば
雲は流れて むらさきの
薄きすみれに ほろほろと
いつか涙の 陽が落ちる

 「あゝ、あの山の姿も湖水の水も、
 静かに静かに黄昏れて行く・・・。
 この静けさ、この寂しさを抱きしめて
 私は一人旅を行く。
 誰も恨まず、皆昨日の夢とあきらめて、
 幼な児のような清らかな心を持ちたい。
 そして、そして、
 静かにこの美しい自然を眺めていると、
 ただほろほろと涙がこぼれてくる」

ランプ引き寄せ 故郷へ
書いてまた消す 湖畔の便り
旅の心の つれづれに
ひとり占う トランプの
青い女王(クイーン)の 淋しさよ

昨日生れたブタの子が

昨日生まれたブタの子が
蜂に刺されて名誉の戦死
ブタの遺骨はいつ帰る
昨日の夜の朝変える
ブタの母さん悲しかろ

昨日生れたハチの子が
ブタにふまれて名誉の戦死
ハチの遺骨はいつ帰る
八月八日の朝帰る
ハチの母さん悲しかろ

昨日生れたタコの子が
タマに当たって名誉の戦死
タコの遺骨はいつ帰る
骨がないから帰れない
タコの母さん悲しかろ


この曲も、ご当地があって、群馬県榛名湖畔の「湖畔亭」が舞台になっているとのこと。
作詞者佐藤惣之助が湖畔亭の女性に宛てた手紙があって、その中で、具体的にそのことを書き留めいるそうです。

昭和15年に発売され、人々の口にのぼり始めたものの、軍部からふさわしくないというレッテルと貼られてしまいます。
しかし、そんな上層部の思惑を超えて戦地では替え歌が作られてました。
明日をも知れぬやるせない戦地の思いが込められていると思います。

真珠湾で始まった太平洋戦争が昭和16年。
その後、シンガポールなどで快進撃を続けたものの、昭和17年にはミッドウェー海戦での敗北から状況は一転。
このころから戦地では嫌戦気分が高まってきたのだとおもいます。
そんなころに歌い始めたのではないでしょうか、「昨日生れたブタの子が」は。

笠木透が歌っているこの替え歌は、最初の2行はバラード風で、続いてスイングで軽快に歌って、5行目でバラードに戻ってます。

JASRAC情報
製作日誌:
平成21年11月16日 歌詞のみ
平成21年11月27日 MIDIをアップ
MIDIでは2番の後、前奏5小節を繰り返してます。
ということは、語りの部分は、かなり早口で、ということになります。悪しからず。