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閉山反対さけぼうよ

【作詞】松尾アイ子
【作曲】島恵子

戦争反対 時はすぎ
焼け野が原の この町に
働くものの、生命と汗で
炭の都の灯がともる
三井はこの町つぶすのか
 炭坑マンも 主婦も子も
 みんなみんな こぶしを上げて
 閉山反対 さけぼうよ

日本のエネルギー 黒い炭
地の底這って掘ってきた
家を追われ 仕事も追われ
見知らぬ土地では 暮らしていけん
三井はこの町つぶすのか
 下請け仲間も 商店も
 みんなみんな こぶしを上げて
 閉山反対 さけぼうよ

 炭坑(やま)の灯を
 町のあかりを 消さないで


多分この曲のテンポはもっと速いとおもいます。アコーディオンの伴奏では、100くらいがちょうどいいように思いますが、ロックっぽく仕上げてみましたら、ねちっこい雰囲気であえてスローにしてみた次第です。

日本の石炭産業が国際競争力と石油化学への転換により衰退してゆく中で、そこで働いていた20万人の炭鉱労働者(1961年)とその家族は仕事と住む所を失って行きます。
炭坑のおかみさん」では、労災で夫を失った奥さんの辛い一人暮らしを歌ってますが、こういう人も閉山で社宅を追われたのでしょうか。哀しい話です。

【閉山の過程】

年度 炭坑数 産出量
1940 5,632万トン
1961 574 5,541万トン
1964 263 5,077万トン
1968 142 4,600万トン
1971 70 3.100万トン
1975 35 1,860万トン
1985 31 1,645万トン
1995 16 632万トン

1961年は戦後最高の産出量5,541万トン。それから10年後の1971年には3,100万トンに激減しています。
オイルショックの1978年には、石炭の輸入が解禁され、そのため、1980年の炭鉱数は25、産出量1,810万トン。
1995年には、16炭坑で632万トンを産出するだけになってます。
石炭産業保護政策も1998年に打ち切られ、それに先立つ、1997年3月に三井三池炭坑も閉山するに至ってます。

因みに、戦前の最大産出量は1940年の5,632万トン、32万人の労働者が従事をしてました。しかし、その内38,000人強が朝鮮からの強制労働につかされた人々であり、そのほかにも、樺太、南方からの強制的に移住させられた事があったのはみなさんご存知の通りです。
1944年には、強制労働で連れてこられた人の割合が20%にもなってます。(41.6万人に対して、82,859人。別の資料では33%という記述もありました)

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製作日誌:
平成17年12月14日 歌詞のみ
平成18年1月2日 MIDIを作成