四月のカーネーション

【原曲】東ドイツ歌曲
【原訳】斎藤暎子
【訳詞】横井久美子
【編曲】青山義久

1.暗い顔して 50年もの間
  ただ瞳だけは 輝いていた
  すりきれた布は もはや脱ぎすて
  悲しみは 風に舞い上がる
  国じゅうにあふれるカーネーション
  燃え上がる四月のポルトガル

2.自由がほほえみ 自由が踊り
  そして自由に 勇気づけられた
  武器の尖を 花でかざり
  こぶしをかためる あなた
  国じゅうにあふれるカーネーション
  燃え上がる四月のポルトガル

3.暗い顔して 50年もの間
  ただ瞳だけは 輝いていた
  すりきれた布は もはや脱ぎすて
  悲しみは 風に舞い上がる
  国じゅうにあふれるカーネーション
  燃え上がる四月のポルトガル

  ラララララララ~~~~
  燃え上がる四月のポルトガル


ヒロシマ」のジョルジュ・ムスタキ作品(作詞)の2曲目をご紹介します。
ムスタキは、1934年にエジプト・アレクサンドリアで生まれて、17歳でパリへ行き、音楽の世界へ入って行きます。

ムスタキ作品は、横井久美子さんがかなり取り上げてます。
この曲も、10枚組CD、「VIVA KUMIKO」に2種類収録されてます。

原題をPortugalというのですが、三青さんからいただいた楽譜では、上記の通り東ドイツ歌曲になってます。さて???

ポルトガルについて
日本との交流の歴史は古いですよね。
1543年にポルトガル船が種子島に漂着して鉄砲を伝播したのが最初。この話は、以前のNHK「鉄砲小弥太」が印象深いですね。当時まだネジという概念がなく、大根の皮むきからヒントを得て小弥太がネジを考案して暴発しない「種子島」をコピーしたというウソか誠か、確か小学生の頃じゃなかったかな、TVにくぎ付けになってみておりました。
それ以来、日本には、いろいろな物資が紹介され、ポルトガル語から日本語になったものも少なくありません。襦袢(じゆばん)gibao,ビロード veludo,タバコ tabaco,パン pao,金平糖 confeito,カステラ castella,かるた cartaなどなど。スペイン語を語源とするものより格段と多いそうです。

4月革命というと、
1974年4月25日に A. スピノラ将軍が、半世紀にわたるファシスト的サラザール体制にクーデターを仕掛けたもののことだと思います。
カーネーションの花言葉は
 赤色:哀れなわが心
 赤と白のまだら:拒絶
 黄色:軽蔑
 白色:純愛

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製作日誌:
平成17年12月7日 歌詞のみ
平成17年12月24日 試作版MIDIをアップ。こんな感じの曲です。
平成17年12月25日 VIVA KUMIKO Disk6に収録されている三多摩青年合唱団「雨上がりコンサート 林光・横井久美子とともにうたう」ライブ版から伴奏をコピーしました。上村明子のピアノ、青山義久のアコですが、部分的なコピーです。雰囲気を味わってください。
なお、CDでのEndingは、属7和音(F#7)で終わっているため、観客の拍手もちょっと戸惑いがち。で、MIDIでは、主和音(Bm)で終わらせました。
平成18年1月9日 ポルトガルについてのコメントの追記