あの人が帰ってきたら

あの人が帰ってきたら

【作詞】小森香子
【作曲】林 彰雄

1.あの人が帰ってきたら またあの丘へ行こう
  川がすっかりみわたせる あの故郷の丘へ
  あの人がいってしまう前
  私たちは一緒に 一緒に座った
  あのひとと一緒にいると 雲はほんとに青かった

2.Hum.....
  【朗読】
  あのひとのやさしい肩に
  わたしは顔をもたせ
  時が止まったと思うほど
  じっと目を閉じていた
  あのひとの歌が風にのり
  わたしたちのひざのあいだに
  ちいさなくもが 糸をかけても
  二人はじゃまをしなかった

3.あの人が帰ってきたら またあの丘へ行こう
  爆弾が私の胸をさき 血が大地へしみる
  あのひとは行ってしまったの
  くだかれた堤防を 堤防をなおしに
  雨季を前にアメリカは ベトナムに鉄の雨降らす

4.あのひとはきっと帰る この血のしみた大地へ
  川がすっかりみわたせる あの故郷の丘へ
  あのひとはきっと歌うでしょう 
  私たちの勝利の 勝利の歌を
  あのひとと一緒にいると 雲はほんとに青かった     


「あの人が帰ってきたら」という曲は、1973年作。アメリカのベトナム戦争に反対する声と行動に呼応して作られ、歌われたもの、といわれてます。作曲者、林 彰雄さんは当時、名古屋の西山青年会の責任者として活躍されていたとのことです。 (「うたごえ愛唱歌集1000曲選」から)

この詩を改めて読み直してみると、今日的にはおかしな感じがします。
作詞者の小森香子さんのダンナさん(or彼氏、要するに「あの人」)はベトコン戦士だったんだろうか?
当時の意識では、ベトナム人民連帯のための同化作用が働いているのでしょうね。

ところで、70年ごろ、「アメリカはベトナムから手を引け」と書いたプラカードを掲げたかわいらしい女の子の図柄の反戦バッチがありました。あのバッチの写真を持ちの方、貸していただけませんか?当時、美濃部都政のシンボルマーク「明るい都政を作る会」のブルーのバッチ。沖縄返還を訴えた茶色のバッチなどいろいろとあり、胸にズラッとつけていた人が多く見られました。

JASRAC無信託

製作日誌:
平成14年9月27日 日和さんのリクエスト(9月23日)により、とりあえず歌詞だけをUPしました
平成14年10月1日 MIDIデータβ版を作成
平成15年4月16日 久留米のはるかサンからのご指摘で、1行目の「あの丘」の「の」の音を半音上げました。いつも有難うございます。
平成15年7月6日 池ヶ谷さんから「面白いアレンジ」と言われてチェックしたら、3番からのドラムボイスが消えており、ピアノ音になってました。