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一坪たりとも渡すまい

【作詞・作曲】沖縄青年合唱団
       佐久川 末子
       昆布土地を守る会
       第4次日本のうたごえ代表団/大西進

1.東支那海前に見て
  わしらが生きた土地がある
  この土地こそはわしらが命
  祖先ゆずりの宝もの

2.われらはもはやだまされぬ
  老いたかたき手のひらは
  野良の仕事の傷のあと
  一坪たりとも渡すまい

3.黒い殺人機が今日も
  ベトナムの友を撃ちにゆく
  世界を結ぶ この空を
  再び いくさでけがすまい


1968年度荒木栄賞を受賞した作品です。まるで軍歌並みの曲ですね。だからというわけではありませんが、デモなどのときによく歌いました。とにかく、調子がいいのです。「がんばろう」もよく歌われますが、これは、デモのときの行進曲には不向き。決起集会などで隣の友と腕を組み、体を左右に振りながらならピッタリなのですが。音楽にもTPOはありますね。
荒木栄賞ですが、65年は「返せ沖縄」、67年は「三交代節」、68年はもう一曲「あかつきの空に」が受賞してます。

【H19.8.12】
本日、新宿ともしびで、「金子みすヾ 全詩を歌うコンサート」Vol.8がありまして、楽しんできました。
清水正美のすばらしいソプラノを中心に、ともしびのバリトン吉田正勝、メゾの石垣美恵子がサポートした、全512曲の内、NO.106~118+NO.431「私と小鳥と鈴と」など15曲が演奏。
この日、作曲の大西進も参加しており、いろいろな話も聞けました。
普段、寡黙な感じの方ですが、この日は、「どうしようかな?」といいながら、この「一坪たりとも渡すまい」の創作裏話も。

1967~68年といえば、ベトナム戦争が激化して、沖縄から軍用機が毎日のように軍事物資から土や水までベトナムの米軍の前線に送ってました。
そんななかで、土地を削られていた昆布にうたごえの創作団を送ろうということで、希望者が募られました。
多分30代だったと思いますが、大西青年は、当時は奥さんと二人の子供を抱えた郵政の公務員。
沖縄に行くといっても、当時はアメリカの占領下でパスポートが必要。
1週間の休暇もなかなかとれず、かなり悩んだそうです。
しかし、ベトナムと沖縄の実情を考えると、悩むより行動ありき、ということで、「観光に行ってきます」と休暇を取得。しかし、最終的にはバレてしまってます。


昆布に着いて、最初に目に飛び込んできたのが、「一坪たりとも渡すまい」という、看板の林立。
曲のタイトルは、即決まり。
地元の人たちから実情を聞いて、詩として纏め上げ、一晩で曲を作り、翌日には、みんなで歌っていました。
そういういきさつから、地元の人々から、「大西進作品」として公開するようにアドバイスを受けましたが、昆布のみんなの創作であるということで、首題のような形になってます。

現地では、昆布の人たちと、出来たばかりのこの曲を歌いながら、米軍帰れ!とスクラムを組んでましたが、実際に、米兵に銃剣を突きつけれられもしたとのこと。
その時のことは、「あかつきの空に」のなかの2番の一節「銃剣にたじろがず」につながってゆくわけです。

黒い爆撃機が頭上すれすれに飛ぶさまをみて、戻ってから、公務員を辞し、今の音楽活動に専念してゆくことになります。
今日のお話のしめは「沖縄からベトナムに、イラクへ米軍が飛び立っています。沖縄の基地がなくなったとき、本当に世界の平和が訪れるでしょう」と。

JASRAC情報
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製作日誌:
平成14年8月 本ページの作成
平成15年7月6日 池ヶ谷さんのご指摘で1番の歌詞を訂正。わしらあ命→わしらが命
平成17年7月11日 さっとんさんのご指摘で「祖先譲りの~」の「り」の音が一音上がりすぎてました。
この機会に、最後の小節部分の手直し。二重唱部分の低音部の音量を若干下げ、エンディングもシンプルにしました。
毎度のご指摘、ありがとうございます。
平成18年1月1日 さっとんさんから1番3行目「この土地こそ(は)」のはが抜けているとのご指摘。これだけ直ししているのに、きつねにつままれたよう
平成19年8月12日 大西進さんの創作話を掲載
この機会に、モロ軍歌調だったアレンジを変えました。