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日の丸の歌

【作詞】今井廣史
【作曲】十時一夫

明けゆく空の そよ風に
高く掲げた 日の丸が
あヽ 晴れやかに ゆれている
若い日本の ゆく道を
照らすこの旗 仰ごうよ

みどりの国に ひるがえる
旗は世界の 朝を呼ぶ
あヽあこがれは 白い鳩
空にはヾたく 日の丸に
映える平和の 清らかさ

白地に赤く 日の丸は
愛とまことに かヾやいて
あヽ一筋に燃えている
希望あらたな この胸に
明日の力を 盛りあげる

日本の空に 日の丸を
たてて祈れば ほのぼのと
あヽ夢がくるわいてくる
夢よ花咲け 山河に
青い潮路の 船の上


この曲が誕生した経緯

昭和24年2月16日 朝日新聞で募集要項を発表
内容 軍歌調はとらず、平和を愛し、親しく誰もが永く歌えるもの
締め切り 3月10日
賞金など 一等 5万円
二等 1万円
三等 5,000円
主催 朝日新聞社
後援 文部省、日本放送教会
協賛 日本ビクター
昭和24年3月21日 歌詞として、16,735編の応募の中から、一等にこの歌詞が選ばれる
林芙美子、中山晋平、佐伯孝夫他、15人の審査員で選定。
併せて、曲の募集がされる
内容 親しく誰もが永く歌えるもの
締め切り 4月5日
賞金など 一等 5万円
二等 1万円
三等 5,000円
昭和24年4月16日 4372篇の応募の中から、この曲が選ばれる
中山晋平など15人の審査員が選定をおこなう。
昭和24年5月3日 東京・有楽町の日本劇場で発表会が開催される
ビクター専属歌手、竹山逸郎・平野愛子などによって歌唱されたそうです。

今回、古い新聞を見ておりますと、日の丸についての当時の状況を垣間見ることが出来ました。
日の丸の掲揚は戦後しばらくGHQによって禁止されていたようです。
1948年9月23日の読売新聞に、GHQから許可されて、戦後最初の祝日(秋分の日)に公官庁で日の丸がへんぽんと翻る、という記事がありました。
また、1949年1月1日の朝日新聞は1面トップでマッカーサー元帥の念頭の辞として、経済再建の奮起にに贈るということで「国旗の使用は自由」と大々的に報じております。
このような背景の中で、日の丸に対する歌が公募されたようです。

作曲・作曲で見事一等を射止めたこの二人はそれぞれ5万円の賞金を得ております。
さて、当時の5万円って?
ゲスのかんぐりで、当時の新聞から拾ってみますと
・年末宝くじの賞金 200万円 (現在は3億円で150倍)
・小学一年生 40円 (H18/8月号は540円、13.5倍)
・六法全書 600円 (H18年版が10,500円、17,5倍) 
・文芸春秋 60円 (現在は710円、11.8倍)


2006/06/11 掲示板に「旅する廃人」さんから
1951年の「緑の山河」、1953年の「われら愛す」の他にも、新国歌として提案されたものがありました。
 1946年 毎日新聞社 「新日本の歌」
 1948年 朝日新聞社 「こ丶ろの青空」
 1949年 朝日新聞社 「日の丸の歌」
 この3曲をリクエストします。


ということで、東京都立中央図書館で朝日新聞24年4月16日の「日の丸の歌」の歌詞(1番だけ)と楽譜を見つけてきました。
縮刷版のため、文字の判別が難しく、歌詞・人名などで間違っているところがあるかも知れません。
その際はあしからず。

1946年 毎日新聞社 「新日本の歌」は、縮刷版が昭和25年以降のみしかなかったため、探せず。
1948年 朝日新聞社 「こ丶ろの青空」は、朝日新聞・読売新聞で見つかりませんでした。

1946年に読売新聞がキングレコードとタイアップして、大衆歌「さくら音頭」の募集をしております。
募集要項を見つけたのですが、発表予定の1947年2月には関連記事を見つけることは出来ませんでした。

JASRAC情報は見当たりません

製作日誌:
平成18年7月22日 歌詞(1番のみ)と簡易版オルゴール風MIDIをアップ
平成18年7月30日 2番以降の歌詞を調べてきました
平成18年8月12日 4番の1行が抜けておりました