くるめくわだち

【作詞】不明
【作曲】ドイツ民謡
【訳詞】小野宮吉
【MIDIデータ作成協力】Iwakichsky

1.くるめくわだち はしるひばな
  ベルトはうなり つちは響く
  ここにぞ鍛う くろがねの
  ※友のかいなよ 我のかいなよ
   固く結びて いざやゆかん
   我等が赤き旗の下に

2.搾取(さくしゅ)の鞭(むち)はつよくとも
  暴虐のあらしつよくとも
  我等は固く誓いたる
  ※(くりかえし)

3.戦今やたけなわに
  友はかたえに倒るとも
  屍を越えて旗を進む
  ※(くりかえし)

4.我がゆく道は安からじ
  目指す よき日に近からじ
  されど ひるまず おたけびゆく
  ※(くりかえし)


1926年に『無産者の夕』で関鑑子が歌った。小野宮吉は関鑑子の夫だそうです。当時、『マルクス主義芸術研究会(マル芸)』なるものがあったそうです。
 とりあえず日本の革命歌・労働歌選集(戦前編)に納められている作品なので作ってみました。(Iwakichsky)

ドイツのどこの歌かな? 中学で習った、ルール工業地帯あたりの唄かな?
くるめく めまぐるしくクルクル廻る事
わだち 和達清夫、元埼玉大学学長、ちがうって。車輪だよね。
「心の唄」の3番、♪されど麦の畑は わだちに荒らされ
はしるひばな 製鉄所だろうね。
ということは、「くるめくわだち」は製鉄所で酸素を送り込むフイゴを動かすための滑車のようなものでしょうね。
  関鑑子さんは、1899年の生まれ。27歳のときにこの曲を歌っていると云うことは、24~5才のときに、旦那さんと一緒にドイツに行っているのかな? 行くわけないよね。じゃ、どうやって、こういう曲の情報を仕入れたんだろう。1920年前後のドイツと言えば、
1918年 11月4日の、キール軍港の水兵の乱を契機に、9日には第2帝政を倒したドイツ革命=ワイマール共和国の確立
1923年 ルール闘争。ドイツの戦後賠償を求めた1921年のロンドン支払案(1320億金マルク)には全く応じる事は出来なかったので、フランスがルール地方を占拠した事に端を発しています。この時期から、ドイツ革命も終焉を迎えてきます。
3番の「戦」は、この反革命の動きへの戦いなのではないかなと想像します。
第一次世界大戦では、日本はドイツに宣戦をしていますので、敵国同士。戦後、第二次世界大戦に向けて、「持たざる国」の共通点から急接近してゆきます。
特高が創設されたのが1911年。1923年ごろからあの悪名高い性格を表しだし、1928年の小説や映画などでおなじみの形が確立。1933年に小林多喜二が虐殺されてます。
ということは、1920年ごろは、まだ比較的自由にこういう情報を得る事は簡単だったんでしょうね。(もちろん、インターネットも航空便もない時代ですから、通信手段は船便だけですね)

話はずれますが、ヨーロッパの流行が日本に入ってくるには、現在でも、2-3年のタイムラグがあります。例えば、エーちゃんがフランクフルトの展示会で、黒いろうそくを見たのが1995年春。縁起でもないなぁ~と思っていたところ、96年のクリスマスに、イギリスのショーウインドーなどで装飾として見かけるようになりました。日本で見かけるようになったのは、その翌年97年2月のテーブルウェアーショー。ちょうど2年かかってます。それから一般的に広がるのに1年近くかかってました。
このInternet時代ですら、この体たらくです。80年以上も前の世界では、早くて4~5年でしょうね、小野宮吉さんがこの曲を日本に紹介できたのは。

JASRAC権利消滅

製作日誌:
平成15年5月26日 歌詞のみ
平成15年6月7日 MIDIをアップ。コメントもクドクドと。ナニを云いたいのやら。マイドの事です。
平成15年10月2日 1番の歌詞訂正。気筒→鍛う。(マドロスさんからのご指摘でした)